雑記:伝える時に気をつけてる事

先日の「サイクル&3D」ではヘルメット保護効果実験の小道具を作りました。
簡単に言うと、その小道具を落下させた時にヘルメットの有無で結果が違う、という実験です。
「ヘルメットの実効性をひと目でわかるようにしたい」という希望があり、こちらから提案。
「ヘルメットの中では割れないけど、ヘルメット無しなら確実に割れる」という必須条件。
さらに場所が小学校という事もあって、いろんな条件(割れすぎたらダメ、音も出来るだけ小さく、床を傷つけない、など)がある中で試作を重ねました。

何度か試作をする間、「得たい結果が得られる」ように細工してしまってはどうだろう、という囁きもありましたけどね。やっぱりそれは嫌だなぁと。
何かをわかってもらう為にわかりやすい結果を演出するのはとても効果があることですが、そこにウソや誤魔化しを持ち込むのは嫌なんですよね。

この実験をみた児童が、その時は「目の当たりにした怖さ」からヘルメットを被るようになったとしても、成長し学んでいくうちにその仕組みが違うと気がついたら、とてもガッカリすると思うんですよね。
それを学校という場で、警察が行う交通安全講習で、避けるのは当然だと思うのです。

==

でも「得たい結果が得られるように」する事って無自覚にやってしまう。意識しないうちに「演技」してしまうんですよね。

例えば僕の場合、良い例・悪い例を実演してるときに無意識にやってしまい、あとで説明しなおすなんて事があります。
自分の伝えたい事がなかなか伝わらない時に、強く「解説」することで自分の言っている事は正しいんだと証明したくなるんだと思います。

そうした演技も自覚して観てる側にも演技だとわかるようにしていれば問題ないと思うのですが、無自覚に演技によって説得しようという行動には注意が必要だなぁと自分に言い聞かせています。

説明するのに演技が必要という事は、それは事実ではない可能性があります。
理論上(自分の考えた中では)できるはずのことが、実際には演技をしないと再現できないということは、その論考のどこかに綻びがあるという事ですからね。

特に身体動かす系の指導では、そのスキルを会得している人にしか再現が出来ないことが多くあります。僕がレッスンをする時もそうですね。
ですから、説明するのも実演するのも会得している本人となるのですが、自分では出来るんだけどうまく説明が出来ない、でも説明しなくちゃならない、なんてことはよくある事だと思うんです。
で、説明はしてみたけどうまく伝わらない、どうしようどうしようってなって、無意識にわかりやすく自分の望む結果になるように演技してしまう。
ですから、気をつけてないと自分も自覚していない演技が混じる。。。のではないのかな、と。

怖いのは、その演技のせいで理論上間違っていることを伝えてしまうかもしれないという事。
教える人にとって自分の言った事に納得してもらえないというのはものすごいプレッシャーなので、多少の力押しもしかねないしそこに無意識な演技も生まれるのかなと。
そして一度言ってしまった以上、それを曲げるのは難しいですよね。

その時は伝えた人が出来るようになれば良いのかも知れませんが、そこで教えられた考え方が大きくズレていた場合、その先に進む時に遠回りをさせてしまうかもしれませんしね。

・・・気をつけます。

==

こうした事を書くと、なんか自信なさそうにとられる事もあるようですけど、そんなこともありません。ちゃんとこれは確実と言えるまでいろんな方面から考えたことを伝えていこうと思っているって事です。

ただ、僕みたいな理屈先行型の人間はこうした事を気をつけてないとほんとに落とし穴にハマってしまいます。
救いなのは、いまも自転車に乗りながら新しい発見をしていることと、レッスンの受講者さんのおかげで、自分の理屈に不足している事を目の前に突きつけ続けられている事です。
だから、新しい練習方法を考えたり、自分のライディングがどうなっているのかを分析したりせざるを得ないし、それがまた僕にとっての勉強であり楽しみでもあるわけです。

では。

okp160209