僕は、自転車の乗り方・テクニックを見よう見まねと思いつきで身につけてた世代です。
誰もがそうやって身につけてきた時代に自転車を始めたんですよね。
覚える順番も「なんとなくできそう」「試してみたらできた」みたいな感じから始めて、そのうちに「あれ」ができて「これ」ができるから合わせたら「それ」ができるかも→できたみたいな。
そうしてるうちに、身につけたことを細かく動作・感覚・感触なんかにバラバラに分解して「部品」にし、他の目的に使ってみたり目的に応じて「部品」ごとに違うものと交換してみたり。これをするようになってから遠回りは減ったように思います。
現在、プログラムを(視覚的に)ブロックにして組み立てるアプリがありますが、感覚的にはそれが近い。身体を動かし自転車を操るプログラムを作る感じ。
テクニックやスキルの習得を目指した時に、「どこから手をつけていいのかわからない」とか「どこが違うのかわからない」となるのは、こういう「動作(の要素)を分解して考える」ということに不慣れなのも理由の一つでは?と考えてて、それは本人のせいではなく、ただそうした経験(学習)をする機会がなかっただけじゃないかなと。
学校の体育で「どうやったらできるかを考える」をきちんと教えてくれたら、いまよりも体育やスポーツを楽しめる人は増えるんじゃないかなと、どっちかっていうと体育が苦手だった僕は今になって思うわけです。
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こうした「全体が部分の集合であることが認識できない」または「全体が最小単位だと認識している」状態は、過程の理解を経ずに結論だけを得ているような状態なのでは?と考えます。
結論だけを知っていてもその過程や構成への理解がないと、その結論をどこでどのように使っていいのかわかりませんね。数学の公式を暗記しても使い所がわからない、または応用範囲が狭いみたいな感じです。
これをスポーツ動作の解析に物理法則を用いることで考えると、理解の浅い法則の用い方を間違ったり、持論に都合の良いだけの使い方をしてしまったりするわけです。僕自身、そういう経験や心当たりがたくさんあります。
この時、間違った方向に加担する原因は「できる」という現象が観測されるからではないかと考えています。
「できる」のだから、その経験・感覚から導かれた理論には間違いがない/少ないと考える。または「できる」人が「(自分の)考えの通りに実行したらできる」ことでそうした考えが補強される。また、それを横で見てた人も同様に「その考えは正しい」と考えるかもしれません。
ですが、実際にはその考える要因よりも他の要因の方がよりその結果に大きく貢献しているなんてこともあります。
例えば「自転車が静止状態では倒れてしまうのに走り出すと安定する原因は車輪の『ジャイロ効果(または角運動量)』によるものだ」と言われることがありますが、実際にはその力の貢献はさほど大きくないことが知られています。
静止している自転車と走行する自転車の安定性の違いは、走ることによって働く自転車のステアリング機構(ヘッド角とフォークオフセットの関係性など)のバランス立て直し能力?が慣性やペダリングなどの推進力によって働くこと(静止時には働かない)、タイヤの接地点が更新されることでバランス補正が可能になる(静止では更新されない)などによるものと考えられます。
この例は、「自転車が止まってる→倒れる」「自転車が走ってる→倒れない」という観測事例があって、「ジャイロ効果による姿勢安定」という実際に実験などで観測されるもの(見えるもの)によって他の要因の大きさに考えが及ばなくなる事例です。
「できる」という観測や経験は「確認された」以上の意味はありません。その事例が少なければ少ないほどそうなります。
それについて解析するには、そのことだけではなく広く多くの知識の蓄積と理解を必要としますし、それはどれだけ学んでも終わりがなく、知れば知るほどさらにその外の存在を感じさせます。つまり終わりがない。
ですが、経験(観測)がないと最初の問いが立てられません。
また考えた結果を確かめるためにも、もう一度経験してみることも必要です。つまり実験。
経験を軽視するわけでもなく、論理をおろそかにするわけでもなく、その両方の間を行き来しながらより確かなもの、より可能性の高いものを突き止め、実用に転じていくことができたらいいな、とずっと考えています。
自分の「できる」経験に逃げこまないようにするためにも。
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もともと物理とか数学とか苦手で理解したいという欲求のみが原動力なので、遅々として進みませんが、そうして考えている中で自分について気がついたこともあります。
僕自身は「設問に答える方法の勉強」は苦手ですが、「ただ理解するために学び、考える」ことは好きなんだということです。好きなだけなので時間はかかりますが。
この一年は、様々なことを観測し、学び、考えた一年でした。
今後はそれらを続けながら、できる限り外に出していこうと考えています。
まあできることからコツコツと。
今後ともよろしくお願いいたします。