どこかで聴いた事なのですが、
「人になる」と思ってる人と、
「人である」と思ってる人がいるそうです。
確か宗教的な話でした。
前者は、自分が未熟であると思っていて、
後者は、自分は自分でしかないと思ってます。
内に問題を探すひとと、
外に問題を求めるひと、といった感じでしょうか?
どっちも心にありますね。
僕はその間をゆらゆらしている気がします。
自転車のライディングもそんな感じでしょうかねー?
カラダでなんとかしようとする場合と、
機材的な変更でなんとかしようとする場合。
自分で考えてカラダを動かす場合と、
人の動きを真似てカラダを動かす場合。
どっちのも必要ですし、
なんとなくその間に落ち着く感じですね。
揺らぎの中でのとりあえずの結論。
いつも揺れていて当然だと思います。