毎月一度開催する小学生のスクールは都度申し込みをしてもらう形でいわゆる『チーム』とかではないんだけど、そのためか毎回参加する常連さんと初めてとか時々参加する子どもが混じってて、その中で子どもたちなりのその場への関わりができていくのを興味深く見ています。
月に一度とはいえ、何度も会っていれば子ども同士お話もするようになるし、スクール後にみんなで林の中に分け入って遊んでいたりする。もちろんマウンテンバイクはそっちのけ。興味あることに一直線なのは子どもの特権ですね。
僕は子どもの頃からそうして人の中に溶け込むのが得意ではなく、そうした子どもたちの順応っぷりを見ているとちょっと羨ましかったりします。
もちろん中には僕のような子もいるし、ひたすら自転車に乗って遊んでたい子もいたりするけどそれはそれで良いし、まあどちらにしてもそういう場として遊んでいってくれるのは場を用意している側としてとても嬉しい。
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ある日、参加した常連さんの一人が、いつもよりちょっと積極的になっていました。子どもだからその日の気分によって積極性に振り幅があるのはもちろん承知。でも明らかにそれまでの振り幅の外まで積極性が出ている。
おそらくどこかで何かそうしたきっかけがあったんだろうと思う。このスクールではないどこか。
変化をもたらしたきっかけが何かは僕は知らないしもちろん知る必要もなく、ただそれによってもたらされた変化と積極性をそのままちゃんと受け止めて前に進めてあげたいな、と改めて思ったりしたんですよ。
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これをきっかけに、みんなその場で僕がみている以外の時間を生きてるんだよなってことを改めて感じました。当たり前のことなんですけど、自分で観測できること以外って忘れがち。
ある場に人が集まり、それぞれに継続した関係性を持って構成されるものは、一つの『世間』といってもいいのでは?とか思いました。
『コミュニティ』でもいいんだけど、目的よりも人との関わりの方が濃いって感じだと『世間』の方が良いかなぁ。。。
それぞれ個人は、その中の構成員であり、また観察者。
観察者がいなくてはその世間は存在しないのも同じです。つまり自分に見えない世間は観測しづらく中がどうなっているのかはわかりません。実際にそこに存在しているのにってことを再認識した次第。
上に出てきた彼の変化のきっかけは、僕の知る世間にいる彼にはもたらされませんでした。僕が観察したのは、そのあとの変化した彼です。
彼は、そうして僕の観測外の世間によって新たなきっかけを得て、マウンテンバイクがさらに楽しくなったということで、これは僕のいる世間では得られなかったことであり、またそれがあるから僕は人の固定化や他の世間との往き来に抵抗が生じるような形にならないようにスクールや場を運営していこうと考えています。
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いろいろな世間が存在し、その間を人が気軽に行き来できるっていうのは、そうして刺激を受けたり多様な価値観を知ったりできると思っています。
SNSはそうした世間を統合してしまうツールなので、割と危なっかしいなーとか思いながら利用させていただいています。
うまい付き合い方探したいね。
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なんか久しぶりに脳みそ垂れ流しました。スッキリ。
ではまた。今度。
※ 写真は(本文と関係のない)イメージです